サイエンス映像学会

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2008-03-26 (水)

たまっこサイエンス

たまっこサイエンス

春休み特別企画 南極の氷がやってくる!

2008年3月27日 多摩市立永山公民館

たまっこサイエンスは小学4~6年生対象の実験教室です。

今回は南極の氷山の氷を使った実験です(東京工業高等専門学校・大野秀樹准教授が担当)。
私は南極の自然、南極観測、南極観測隊についてお話しします。

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at 10:45 │ | 関連活動

昭和基地から帰国して1年ほど経ってから、書店で見かけ手に取った。
柴田さんの書かれた本だった。柴田さんは第47次隊同行者、私は第46次の越冬隊。
昭和基地からの帰路を共にした方だ。

この本を読んで初めて、柴田さんが南極観測と非常に深く関わってこられたことを知った。

南極といえば、のタロに会い、「その後のタロ」の記事も書かれたそうだ。
全国からタロへの贈り物が殺到したという。当時の記事を読んでみたい。

最近では、第45次隊越冬隊には、朝日新聞社の中山由美記者、武田剛カメラマンが
同行者として参加、活躍されたが、これも元は柴田さんの進言からだという。
2006年に国立科学博物館で開催された「ふしぎ大陸・南極展」は大盛況だった。
ふしぎ大陸南極展2006(朝日新聞社)

中山記者、武田カメラマンの活躍をご覧になり、南極への思いが強くなった
柴田さんは40年ぶりに昭和基地を再訪された。

「世界中を『南極』にしよう」では、30歳の柴田さんと70歳の柴田さんの対話が
しばしば登場する。柴田さん自身は全然変わっていない。
南極の自然(ペンギンを含む!)の大ファンであるし、
国境のない人類理想の地を世界に広げたいと精力的に活動されている。
南極に行った後輩として、柴田さんのようになりたいと思う。

世界中を「南極」にしよう (集英社新書 391D)『世界中を「南極」にしよう』
柴田鉄治著 (集英社新書)

JASTJのページに小出五郎さんによる書評があります。
Science Oasis サイエンス図書館 書評センター
http://science-oasis.tv/modules/amaxoop2/article.php?lid=14

at 02:27 │ | 南極

朝日新聞OB、日本科学技術ジャーナリスト会議理事、科学ジャーナリスト塾の産みの親のお一人である
柴田鉄治さんは、これまでに何度も 南極 を訪れています。

柴田さんが書かれた本を含めて、お勧めの南極関連書籍を紹介して頂きました。
全部で18冊です。

アムンセンとスコット (本多勝一集)『アムンセンとスコット』 本多勝一著 (朝日新聞社)

  ※教育社から出版されたものはこちらを

エンデュアランス号-シャクルトン南極探検の全記録 『エンデュアランス号
-シャクルトン南極探検の全記録』

キャロライン・アレグザンダー、フランク・ハーレー著 (ソニー・マガジンズ)


『南極越冬記』 西堀栄三郎著 (岩波新書)

地の果てに挑む―マナスル・南極・北極 『地の果てに挑む-マナスル・南極・北極』
村山雅美著 (東京新聞出版局)

南極・越冬記 『南極・越冬記』
平山善吉著 (連合出版)

『氷点下の1年-南極・オーストラリア基地』 木崎甲子郎著 (朝日新聞社)

『南極式積極生活』 松田達郎著 (地球書館)

『南極外史』 鳥居鉄也、原田美道、鈴木康編 日本極地研究振興会 (丸善株式会社)

『南極とともに:地球化学者として』
 鳥居鉄也著 (岩波出版サービスセンター)

『ふしぎ大陸 南極展2006』(図録) (朝日新聞社)

ぼくの南極生活500日―ある新聞カメラマンの南極体験記『ぼくの南極生活500日
-ある新聞カメラマンの南極体験記』

武田剛著 (フレーベル館)

ニッポン南極観測隊 人間ドラマ50年『ニッポン南極観測隊-人間ドラマ50年』
小野延雄、柴田鉄治編 (丸善株式会社)

世界中を「南極」にしよう (集英社新書 391D)『世界中を「南極」にしよう』
柴田鉄治著 (集英社新書)

旅する南極大陸―〈体感的〉究極ガイドブック『旅する南極大陸-〈体感的〉究極ガイドブック』
神沼克伊著 (三五館)


女性隊員・記者の記録

『魅せられて、南極-初の女性観測隊員奮闘記』 森永由紀著 (時事通信社)

南極に暮らす―日本女性初の越冬体験 『南極に暮らす-日本女性初の越冬体験』
坂野井和代、東野陽子著 (岩波書店)

こちら南極ただいまマイナス60度―越冬460日のホワイトメール 『こちら南極ただいまマイナス60度
-越冬460日のホワイトメール』

中山由美著 (草思社)

南極点より愛をこめて『南極点より愛をこめて』
ジェリ・ニールセン、メアリアン・ヴォラーズ著 (講談社)
南極点(米国のアムンゼン・スコット基地)での越冬中、ガンになってしまった女医さんの話

at 18:30 │ | 南極

科学ジャーナリスト塾で行なわれた柴田鉄治さんの講義
(「科学ジャーナリストになる君たちへ」、2008年1月21日)より、後半部分。

-----柴田さんと南極観測-----
柴田さんが大学生だった1956年、朝日新聞社の呼びかけで日本の南極観測が始まった。
柴田さんは科学者として南極へ行きたいと思っていたそうだ。
結局、科学者の道には進まず、朝日新聞社に就職された。
小学生までの戦争体験から、言論の自由・ジャーナリズム平和に欠かせないと
感じていたし、南極観測を推し進めた新聞社に対し、こんなこともできるのかと
魅力を感じたためでもある。

記者になって数年後、南極地域観測隊(第7次隊)に同行!
航空機で南極点(米国のアムンゼン・スコット基地)に先回りし、昭和基地から陸路、
南極点を目指した観測隊員(第9次隊)を出迎え、取材された経験も持つ。

初めての南極から40年、70歳を迎える年に、第47次隊に同行、昭和基地を再訪された
(2005年11月~2006年3月)。
(余談。私は第46次越冬隊だったため、昭和基地のAヘリポートで柴田さんを出迎えた。
昭和基地からシドニーまでは同じ船(砕氷艦「しらせ」)に乗っていた。)

-----南極探検から南極観測の時代へ-----
1911年 アムンゼン、スコット、白瀬矗(しらせ・のぶ)の探検
1957~58年 国際地球観測年 
 各国が共同で極域観測をするという話を耳にした朝日新聞記者の矢田喜美雄さんが
 朝日新聞が船を借り、日本も南極観測に参加できないかと思い立った。
 学界へ南極観測の話を持ちかけたところ、賛成だった。朝日新聞社の働き、
 国民の熱心な応援などがあり、日本の南極観測が始まった。

初代の観測船「宗谷」は、帰路、氷海で閉じ込められてしまった。
冷戦中にも関わらずソ連の「オビ号」に助けられるなど、南極らしいロマンもあった。
やむをえず基地に置き去りにされたカラフト犬のタロ・ジロが1年後も生きていた!
という感動的なニュースもあった。

日本の南極観測の歴史は50年になる。始めの30年間は男性ばかりの世界で、
20年前から女性が参加するようになった。第39次隊から女性の越冬隊員も。

-----南極観測の意義-----
「地球の窓」 オーロラ、隕石(月や火星から来たものも)
「地球環境のバロメーター」 二酸化炭素濃度、南極大陸・周辺の氷の量、
    PCB濃度、オゾンホール(日本の南極観測隊が発見!)
    ※地球の病気はまず南極に現れる

-----世界中を「南極」にしよう!-----
南極条約
1959年制定、61年発効。
・軍事利用の禁止
・科学観測の自由と国際協力
・領土権の主張の凍結 
・核実験の禁止、放射性廃棄物処理の禁止
などを決めたもの。

南極域は人類の共有財産。
南極ではパスポートなしで他国の基地と行き来することができる。
外国基地の人との温かな交流を体験した。
「国境のない場所」が、南極に現実に存在!

夢物語と言われるかもしれないが、
国境があるのが当たり前、各国は互いに国益を主張するのが当たり前
という常識を疑うことも必要ではないか。


各国の若い外交官は南極という国境のない大陸で研修を行なってもよいのでは?
昭和基地でサミットを行なってもいいのでは?

竹島などの領土問題 
南極条約の知恵を活用し、領土権の主張を凍結し、
共同で管理する、という方法を取ってもよいのでは?

世界中を「南極」にしよう!
愛国心より愛地球心を。


参考 南極・南極条約について
南極地域の環境の保護に関する法律(総務省法令データ提供システム)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO061.html

南極地域の環境保護(環境省地球環境局のページ) 
http://www.env.go.jp/earth/nankyoku/kankyohogo/index.html

南極条約(外務省のページ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/s_pole.html

科学ジャーナリスト塾で行なわれた柴田鉄治さんの講義
(「科学ジャーナリストになる君たちへ」、2008年1月21日)より、前半部分。

ジャーナリズムの使命
平和と基本的人権を守ること

科学ジャーナリズムの使命
科学・技術の暴走から、人間・他の生命を守ること

日本の科学報道
「産みの親は原子力、育ての親は宇宙開発」
1957年:南極・昭和基地、東海村原子力研究所、スプートニク1号
各新聞社に科学部が誕生

日本の原発報道(1950~60年代) 
「軍事利用は悪、平和利用は善」 
唯一の被爆国なのに、偏った報道だった。
原子力利用のそもそものマイナス面(廃棄物処理の難しさなど)を
伝えるべきだった。

水俣病(1968年に政府見解)、サリドマイド事件(1962年頃)
「中立報道は間違い」で、「疑わしきは報じるべき」だった。
報道の仕方によって犠牲者が減ったはず。調べれば分かったはず。
この教訓は次に活かさなければならない。

報道にも「燃焼の三原則」
1.燃えるもの → 事件、 2.酸素 → 世論、 3.発火点以上の温度 → 報道
高度経済成長時代の公害問題のように、報道しても、世論によっては問題視されないことがある。
しかしジャーナリストとしては、根気よくマッチを擦り続けなければならない。

アポロの月面着陸(1969年)
宇宙から見た地球の映像に、環境問題解決の機運が一気に高まった。

1970年代 科学ジャーナリズムが機能するように。
石油ショック、ローマクラブ「成長の限界」などの背景もあり、
ローカルな公害問題から一気に地球環境問題へ。
「科学の進歩は人間を幸せにするとは限らない」
本当は1945年の段階で気付くべきだった。

医療の問題
札幌医大の心臓移植(1968年) 
 密室で科学者だけで決めてはならない。当事者以外が加わって議論すべき。
試験管ベビー(1978年) 
 体外受精は不妊治療に限るべき。


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