サイエンス映像学会

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科学ジャーナリスト塾で行なわれた柴田鉄治さんの講義
(「科学ジャーナリストになる君たちへ」、2008年1月21日)より、後半部分。

-----柴田さんと南極観測-----
柴田さんが大学生だった1956年、朝日新聞社の呼びかけで日本の南極観測が始まった。
柴田さんは科学者として南極へ行きたいと思っていたそうだ。
結局、科学者の道には進まず、朝日新聞社に就職された。
小学生までの戦争体験から、言論の自由・ジャーナリズム平和に欠かせないと
感じていたし、南極観測を推し進めた新聞社に対し、こんなこともできるのかと
魅力を感じたためでもある。

記者になって数年後、南極地域観測隊(第7次隊)に同行!
航空機で南極点(米国のアムンゼン・スコット基地)に先回りし、昭和基地から陸路、
南極点を目指した観測隊員(第9次隊)を出迎え、取材された経験も持つ。

初めての南極から40年、70歳を迎える年に、第47次隊に同行、昭和基地を再訪された
(2005年11月~2006年3月)。
(余談。私は第46次越冬隊だったため、昭和基地のAヘリポートで柴田さんを出迎えた。
昭和基地からシドニーまでは同じ船(砕氷艦「しらせ」)に乗っていた。)

-----南極探検から南極観測の時代へ-----
1911年 アムンゼン、スコット、白瀬矗(しらせ・のぶ)の探検
1957~58年 国際地球観測年 
 各国が共同で極域観測をするという話を耳にした朝日新聞記者の矢田喜美雄さんが
 朝日新聞が船を借り、日本も南極観測に参加できないかと思い立った。
 学界へ南極観測の話を持ちかけたところ、賛成だった。朝日新聞社の働き、
 国民の熱心な応援などがあり、日本の南極観測が始まった。

初代の観測船「宗谷」は、帰路、氷海で閉じ込められてしまった。
冷戦中にも関わらずソ連の「オビ号」に助けられるなど、南極らしいロマンもあった。
やむをえず基地に置き去りにされたカラフト犬のタロ・ジロが1年後も生きていた!
という感動的なニュースもあった。

日本の南極観測の歴史は50年になる。始めの30年間は男性ばかりの世界で、
20年前から女性が参加するようになった。第39次隊から女性の越冬隊員も。

-----南極観測の意義-----
「地球の窓」 オーロラ、隕石(月や火星から来たものも)
「地球環境のバロメーター」 二酸化炭素濃度、南極大陸・周辺の氷の量、
    PCB濃度、オゾンホール(日本の南極観測隊が発見!)
    ※地球の病気はまず南極に現れる

-----世界中を「南極」にしよう!-----
南極条約
1959年制定、61年発効。
・軍事利用の禁止
・科学観測の自由と国際協力
・領土権の主張の凍結 
・核実験の禁止、放射性廃棄物処理の禁止
などを決めたもの。

南極域は人類の共有財産。
南極ではパスポートなしで他国の基地と行き来することができる。
外国基地の人との温かな交流を体験した。
「国境のない場所」が、南極に現実に存在!

夢物語と言われるかもしれないが、
国境があるのが当たり前、各国は互いに国益を主張するのが当たり前
という常識を疑うことも必要ではないか。


各国の若い外交官は南極という国境のない大陸で研修を行なってもよいのでは?
昭和基地でサミットを行なってもいいのでは?

竹島などの領土問題 
南極条約の知恵を活用し、領土権の主張を凍結し、
共同で管理する、という方法を取ってもよいのでは?

世界中を「南極」にしよう!
愛国心より愛地球心を。


参考 南極・南極条約について
南極地域の環境の保護に関する法律(総務省法令データ提供システム)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO061.html

南極地域の環境保護(環境省地球環境局のページ) 
http://www.env.go.jp/earth/nankyoku/kankyohogo/index.html

南極条約(外務省のページ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/s_pole.html

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科学ジャーナリスト塾で行なわれた柴田鉄治さんの講義
(「科学ジャーナリストになる君たちへ」、2008年1月21日)より、前半部分。

ジャーナリズムの使命
平和と基本的人権を守ること

科学ジャーナリズムの使命
科学・技術の暴走から、人間・他の生命を守ること

日本の科学報道
「産みの親は原子力、育ての親は宇宙開発」
1957年:南極・昭和基地、東海村原子力研究所、スプートニク1号
各新聞社に科学部が誕生

日本の原発報道(1950~60年代) 
「軍事利用は悪、平和利用は善」 
唯一の被爆国なのに、偏った報道だった。
原子力利用のそもそものマイナス面(廃棄物処理の難しさなど)を
伝えるべきだった。

水俣病(1968年に政府見解)、サリドマイド事件(1962年頃)
「中立報道は間違い」で、「疑わしきは報じるべき」だった。
報道の仕方によって犠牲者が減ったはず。調べれば分かったはず。
この教訓は次に活かさなければならない。

報道にも「燃焼の三原則」
1.燃えるもの → 事件、 2.酸素 → 世論、 3.発火点以上の温度 → 報道
高度経済成長時代の公害問題のように、報道しても、世論によっては問題視されないことがある。
しかしジャーナリストとしては、根気よくマッチを擦り続けなければならない。

アポロの月面着陸(1969年)
宇宙から見た地球の映像に、環境問題解決の機運が一気に高まった。

1970年代 科学ジャーナリズムが機能するように。
石油ショック、ローマクラブ「成長の限界」などの背景もあり、
ローカルな公害問題から一気に地球環境問題へ。
「科学の進歩は人間を幸せにするとは限らない」
本当は1945年の段階で気付くべきだった。

医療の問題
札幌医大の心臓移植(1968年) 
 密室で科学者だけで決めてはならない。当事者以外が加わって議論すべき。
試験管ベビー(1978年) 
 体外受精は不妊治療に限るべき。

2007-11-04 (日)

日記について

畑先生の課外授業(2007年10月29日)の内容

「人はなぜ日記を書くのか」

・人に読んでもらいたいから(「人の日記を読みたい」の裏返し)
・世に名を残したいから
・記録のため
・生活にリズムをつけるため
・精神を安定させる作用があるので

ブログの登場により、日記を書き、人に読んでもらうということが、
短期間で実現されるようになった。

科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)の主催する科学ジャーナリスト塾に入りました。第6期生です。

塾生は共通の講義を受ける他、以下の5つのテーマからいずれかを選び、
グループ毎の課題に取り組みます。

「里山を守る ~足もとから見る環境問題~」
「ポストYouTube ~ネット時代に望まれる映像創造力~」
「明らかになる宇宙の姿 ~学校で教わらない天文の世界~」
「エネルギー利用 ~脱地球温暖化は可能か~」
「認知症とアルツハイマー ~原因・治療・予防はどこまでわかっているのか~」


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